十三の砂山は、砂山踊・砂山節と言われ、山王坊という僧侶が作曲したと伝えられています。小太鼓に合わせた唄と踊りは、この地域の盆踊りの元唄となっています。
日本七港の一つと言われた十三港が後村上朝、輿国二年の大火と大洪水で町は全滅し、この唄だけが残り、楽師館山翁父子の手によって継承されたと伝えられています。
米とヒバ材の国内有数の貿易港として、十三村の全盛時代は大正時代の末期まで続いたと伝えられています。当時は料理屋が数十軒、民家でも茶屋を開いて荷主や船頭をもてなし、十三の砂山を唄って聞かせたと伝えられています。